1: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:32:31.48 ID:3FMkZKUx9
昭和20年8月16日に自刃した大西瀧治郎中将の遺書。現在は表装され靖国神社遊就館に展示されているが、もとはこのように便箋5枚にわたって書かれていた。
国民に戦争終結を告げる天皇の「玉音」が放送された翌日、昭和20(1945)年8月16日未明、ひとりの海軍の将官が割腹し、自決をとげた。
昭和19(1944)年10月、フィリピン・レイテ島に進攻してきた米軍の大部隊に対し初めて特攻出撃を命じ、「特攻の父」とも呼ばれる大西瀧治郎中将である。大西はその後、軍令部次長となり、最後まで徹底抗戦を叫び続けたが、遺された遺書には、軽挙を戒め、特攻隊員と遺族に謝罪し、青壮年に後事を託し、世界平和を願う言葉が綴られていた。「徹底抗戦」と「世界平和」のはざまに秘められたその真意を読み解く。
■大西瀧治郎中将の遺書
飛行機に爆弾を抱いて敵艦に体当りする、日本海軍の「神風特別攻撃隊」は、戦況が日本に決定的に不利となった昭和19年10月20日、日米両軍の決戦場となったフィリピンで、第一航空艦隊司令長官としてマニラに着任したばかりの大西瀧治郎(おおにし たきじろう)中将の命により編成され、10月21日に初めて出撃し、10月25日、最初に敵艦隊に突入した。
※省略
そもそも、米英を相手とする戦争に勝算がないことは、海軍上層部の共通認識であり、大西自身も開戦前から見通していたことであった。それなのになぜ、大西は、搭乗員の生還を期さないかくも非情な命令をくだし、のべ数千人もの若い命を爆弾に代えて突入させたのか。
大西は昭和20年5月、軍令部次長として内地に呼び戻されたが、7月26日、連合国によるポツダム宣言が発せられたのちも最後の最後まで講和に反対し、徹底抗戦を叫び、
「あと2千万人の特攻隊を出せば必ず勝てる」
などと非情きわまりない主張をしたと伝えられている。
天皇がポツダム宣言の聖断をくだし、国民に終戦を伝える玉音放送が流れた翌8月16日未明、大西は渋谷南平台の軍令部次長官舎で自刃して果てた。その行動の表層的な部分だけ見れば、まさに異常極まる所業である。
――ところが、大西が遺した遺書には、つい先ほどまで徹底抗戦を叫んでいた同じ人物が書いたとは思えない冷静な筆致で、若い世代に後事を託し、軽挙を戒め、世界平和を願う言葉が書かれていた。
※省略
前段で、特攻で戦死させた将兵に陳謝し、死をもってその英霊と遺族への償いをすると述べている。その死にざまも、拳銃で頭を撃ち抜くような簡単なものではなく、日本刀で腹を十文字に切って、なおかつ喉を突き、なるべく苦しんで死ぬようにと介錯を断り、自らの血の海で半日以上も悶えた末に絶命するというすさまじいものだった。
特攻を命じた司令長官のうち、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
■図りかねた大西中将の「真意」
※省略
そもそも、この遺書は、いつ書かれたものか。門司が調べた限り、割腹直前の大西には、このような遺書を書く時間的余裕があったとは認められない。だとすれば、事前に書いて準備していたことになるが、それならば終戦前の大西の抗戦論や行動も、理性と計算に基づいたものということになり、その解釈も、巷間伝わっている大西瀧治郎像とは異なったものになるはずだ。
※省略
話を要約すれば、特攻は「フィリピンを最後の戦場にし、天皇陛下に戦争終結のご聖断を仰ぎ、講和を結ぶための最後の手段である」ということだ。だとすると、特攻の目的は戦果ではなく、若者が死ぬことにあるのか――。
※省略
門司から見て、大西中将はけっして非情な冷血漢でも、凶気の長官でもなかった。いや、むしろ抗戦論者とは逆の冷静な目を持ち、人間味あふれる、いや、むしろ人情が表に出すぎるぐらいの人、という印象のほうが強い。
終戦のとき、大西中将が講和を妨害し、日本をさらなる破滅に導こうとした、などという話を聞いたり読んだりするたびに、
「いや、長官はそんな人じゃありませんよ」
と反論したくなる。エキセントリックに見える大西の行動には、なんらかの意味があったはずだ、と門司は信じている。(続きはソース)
(神立尚紀 カメラマン・ノンフィクション作家)
8/15(日) 8:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210815-00086115-gendaibiz-pol
国民に戦争終結を告げる天皇の「玉音」が放送された翌日、昭和20(1945)年8月16日未明、ひとりの海軍の将官が割腹し、自決をとげた。
昭和19(1944)年10月、フィリピン・レイテ島に進攻してきた米軍の大部隊に対し初めて特攻出撃を命じ、「特攻の父」とも呼ばれる大西瀧治郎中将である。大西はその後、軍令部次長となり、最後まで徹底抗戦を叫び続けたが、遺された遺書には、軽挙を戒め、特攻隊員と遺族に謝罪し、青壮年に後事を託し、世界平和を願う言葉が綴られていた。「徹底抗戦」と「世界平和」のはざまに秘められたその真意を読み解く。
■大西瀧治郎中将の遺書
飛行機に爆弾を抱いて敵艦に体当りする、日本海軍の「神風特別攻撃隊」は、戦況が日本に決定的に不利となった昭和19年10月20日、日米両軍の決戦場となったフィリピンで、第一航空艦隊司令長官としてマニラに着任したばかりの大西瀧治郎(おおにし たきじろう)中将の命により編成され、10月21日に初めて出撃し、10月25日、最初に敵艦隊に突入した。
※省略
そもそも、米英を相手とする戦争に勝算がないことは、海軍上層部の共通認識であり、大西自身も開戦前から見通していたことであった。それなのになぜ、大西は、搭乗員の生還を期さないかくも非情な命令をくだし、のべ数千人もの若い命を爆弾に代えて突入させたのか。
大西は昭和20年5月、軍令部次長として内地に呼び戻されたが、7月26日、連合国によるポツダム宣言が発せられたのちも最後の最後まで講和に反対し、徹底抗戦を叫び、
「あと2千万人の特攻隊を出せば必ず勝てる」
などと非情きわまりない主張をしたと伝えられている。
天皇がポツダム宣言の聖断をくだし、国民に終戦を伝える玉音放送が流れた翌8月16日未明、大西は渋谷南平台の軍令部次長官舎で自刃して果てた。その行動の表層的な部分だけ見れば、まさに異常極まる所業である。
――ところが、大西が遺した遺書には、つい先ほどまで徹底抗戦を叫んでいた同じ人物が書いたとは思えない冷静な筆致で、若い世代に後事を託し、軽挙を戒め、世界平和を願う言葉が書かれていた。
※省略
前段で、特攻で戦死させた将兵に陳謝し、死をもってその英霊と遺族への償いをすると述べている。その死にざまも、拳銃で頭を撃ち抜くような簡単なものではなく、日本刀で腹を十文字に切って、なおかつ喉を突き、なるべく苦しんで死ぬようにと介錯を断り、自らの血の海で半日以上も悶えた末に絶命するというすさまじいものだった。
特攻を命じた司令長官のうち、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
■図りかねた大西中将の「真意」
※省略
そもそも、この遺書は、いつ書かれたものか。門司が調べた限り、割腹直前の大西には、このような遺書を書く時間的余裕があったとは認められない。だとすれば、事前に書いて準備していたことになるが、それならば終戦前の大西の抗戦論や行動も、理性と計算に基づいたものということになり、その解釈も、巷間伝わっている大西瀧治郎像とは異なったものになるはずだ。
※省略
話を要約すれば、特攻は「フィリピンを最後の戦場にし、天皇陛下に戦争終結のご聖断を仰ぎ、講和を結ぶための最後の手段である」ということだ。だとすると、特攻の目的は戦果ではなく、若者が死ぬことにあるのか――。
※省略
門司から見て、大西中将はけっして非情な冷血漢でも、凶気の長官でもなかった。いや、むしろ抗戦論者とは逆の冷静な目を持ち、人間味あふれる、いや、むしろ人情が表に出すぎるぐらいの人、という印象のほうが強い。
終戦のとき、大西中将が講和を妨害し、日本をさらなる破滅に導こうとした、などという話を聞いたり読んだりするたびに、
「いや、長官はそんな人じゃありませんよ」
と反論したくなる。エキセントリックに見える大西の行動には、なんらかの意味があったはずだ、と門司は信じている。(続きはソース)
(神立尚紀 カメラマン・ノンフィクション作家)
8/15(日) 8:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210815-00086115-gendaibiz-pol
引用元: ・【戦争秘話】「あと2千万人の特攻隊を出せば必ず勝てる」 “徹底抗戦”主張し続けた「特攻の父」大西瀧治郎中将の意外過ぎる真意 ★4 [樽悶★]
3: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:33:41.96 ID:YiyOplxD0
ネトウヨを煮詰めてウンコにしたみたいなヤツだねw
6: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:37:14.29 ID:VQyBp+Ts0
ネトウヨが行けば良かったんだ。本望だろ。
7: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:37:31.84 ID:kg12uE2d0
ぶっこみのちち
9: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:38:19.29 ID:EapyMB4B0
2000万機も特攻機を生産できる能力とそれを飛ばせる燃料があれば
確かにアメリカにも勝てそう
確かにアメリカにも勝てそう
16: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:41:45.83 ID:FPG9q/Vj0
>>9
そんな恐ろしい生産能力あったら
そもそもハルノートなんて突きつけられてないだろうけど
そんな恐ろしい生産能力あったら
そもそもハルノートなんて突きつけられてないだろうけど
10: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:38:22.67 ID:ch2I/J0x0
それ言い出したら戦いなんて絶対数勝てるってことになるのよね
18: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:44:43.43 ID:Lm55g6/x0
それで勝ったら勝ったで、国民で動けるヤツが誰も居なくなって老人ばかり生き残る超高齢化社会
子どもも作ることすら出来ず民族滅亡の未来しか見えないんだが?
子どもも作ることすら出来ず民族滅亡の未来しか見えないんだが?
20: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:46:46.52 ID:E5lU26FD0
名前変えて逃げた奴居るよね
22: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:48:22.67 ID:5OsxFFrc0
誰だよ、始めちゃったバカは
24: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:49:43.59 ID:2tKtKw7Y0
単なる殺人鬼だな。
27: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:00:41.77 ID:vPFG4foM0
2千万機も戦闘機があれば負けてないだろ。
29: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:02:37.68 ID:qepb5e+i0
映画「日本の一番長い日」の中にも、この大西が狂った目付きで
「あと二千万!あと二千万の特攻を出せば必ず勝てるぅぅっ!」って叫んでいるシーンがあって怖った
戦闘機を操縦出来る人員もいないし、そもそも、そんなに戦闘機があったら戦争に負けてない・・・
「あと二千万!あと二千万の特攻を出せば必ず勝てるぅぅっ!」って叫んでいるシーンがあって怖った
戦闘機を操縦出来る人員もいないし、そもそも、そんなに戦闘機があったら戦争に負けてない・・・
31: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:03:55.79 ID:lK9W5myW0
ただのサイコパス
32: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:04:49.85 ID:CT8kdw+m0
丸山真男が言うところの無責任の体系というやつだろ
「私は反対だがやむ得ず特攻を命じた」 仕方ないの精神 この人に限らず当時の軍人全体に
そういう傾向があった 俘虜の待遇改善に努めつつ俘虜を殴り虐待したと書かれている。
これは決して言い訳ばかりではなく本人たちの意識の中では待遇改善をしていた
「私は反対だがやむ得ず特攻を命じた」 仕方ないの精神 この人に限らず当時の軍人全体に
そういう傾向があった 俘虜の待遇改善に努めつつ俘虜を殴り虐待したと書かれている。
これは決して言い訳ばかりではなく本人たちの意識の中では待遇改善をしていた
33: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:05:12.09 ID:MsNt54Bx0
終戦前後のエピソード読んでると、とても演技で徹底抗戦唱えてたようには思えないけどなあ。
43: 民主主義者 2021/08/21(土) 16:31:04.44 ID:WQzjUgou0
五輪と同じだな
今回は児童が総動員されるわけだが
今回は児童が総動員されるわけだが
15: 民主主義者 2021/08/21(土) 15:41:40.36 ID:Ej0zOX640
テメェが行けよ
コメント
コメント一覧 (15)
democracy_sokuh
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なお発案者は決まって、自分自身は絶対に何の対価も払わず成果だけ手にすることを当然に考えるゴミクズ。
democracy_sokuh
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democracy_sokuh
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それなのに邪悪な筈がない、愚鈍な筈がないと勝手に思い込んで事実と異なる小説を書いて何の意味がある?
democracy_sokuh
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それだけでなんかちょっとマシに見えるくらい他に酷い奴が多すぎる
終戦後に上野で戦災孤児が飢え死にしてる時に米軍の嘱託に収まって自分の子供4人もしっかり育ててる将官とか
徳富蘇峰も「戦時中は大和魂だななんだの国民に強いた割に終戦の時腹を切った将官ってほとんど聞かない」って言ってたしとにかく日本って変わらんなァ
democracy_sokuh
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巣鴨プリズン党こと自民党のボンクラ首相どもは毎年300万とか言うけど。
democracy_sokuh
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こういった輩こそ東京裁判で裁かれて有罪になるべき
democracy_sokuh
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democracy_sokuh
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虚言癖?たぶん、自分がなにをいっているのかをロジックでは理解してない。そういう思考回路は、人間に数パーセントの割合で自然にいるものだから。
democracy_sokuh
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ってのが一番気になった
democracy_sokuh
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まあ少なくとも特攻命令して戦後天寿全うした連中よかマシではあるがな
というかこいつを探ると天皇が特攻称賛したことに行き着くからあんまり触れられないのか?
democracy_sokuh
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まあのうのうと天寿を全うした反日戦犯よりはマシなのかもしれんが
こんな手紙一つで美談にするのやめろや
democracy_sokuh
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